自己理解をしよう
前回は認知バイアスへのアプローチを書きました。 ・関係性と根拠は別の話である。 ・専門家に相談しよう。 ・認知バイアスは自己理解で解決できる。 要約すると上のようなことを書きました。 今日はその続きを書いていきたいと思います。 自己理解とは 自己理解の意味と必要性とは?にっぽんマズロー研究部参考 自己理解とは、文字通り自己を理解すること。 よりかみ砕いて言うと、自分の事を深く納得のいくまで理解することです。 ・自分は前向きだ ・自分はやさしいだ ・自分は真面目だと言われる ・自分は面倒見が良いと言われる 例えば、こういった表現や評価はよく見聞きしますが、自分にとって納得のいく内容でしょうか。 無意識に、なんとなく思っていることはないでしょうか。 無意識に、なんとなく相手から言われたから受け入れていることはないでしょうか。 こういった状態は自己理解できているとは言えません。 自己理解を深めるためにはどうしたらいいのか? 前回触れた通り、専門家を使えば良いのです。 専門家に「メタ認知」を活用した自己分析をしてもらうのです。 メタ認知 「メタ認知」とは?教育、ビジネスで大注目の能力を具体例でわかりやすく解説! | HR大学 (hrbrain.jp)引用 メタ認知とは… >「自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御すること」 簡単に言うと、 自分が固定観念や思い込みで合理的でない判断をしていないか、客観的な目線で検討することです。 自分が無意識、感情的、衝動的にやってしまった行動や発言があったとして、 それを省みて冷静に制御できれば、よりよい結果に繋げられるでしょう。 どんな分野でも自己理解をすることによって、認知バイアスを克服することは重要だと言えます。 自己理解を深めてみてはいかがでしょうか。
認知バイアスへのアプローチ
前回、認知バイアスについて書きました。 認知バイアスとは、「物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になる心理現象」のこと。 要するに、固定観念や思い込みで合理的ではない判断をしてしまう事でした。 今回はその続きを書いていきます。 関係性と根拠は別である 人間には様々な関係性があります。 親、兄弟、親戚、先輩、後輩、先生…等 「…が言う事だから信頼できる」 よく聞く表現に、こんなものがあります。 前回、最後に触れましたが、これは常に正しいとは言えません。 何故なら、人間とその情報の根拠に因果関係はないからです。 「信頼できる人間でも、常に認知バイアスがかかっていない正確な情報を言っている」とは言えないということです。 専門家 では、誰のいう事なら信頼ができるのか?という話になるわけですが、 それは「専門家」です。 例えば… 勉強:学校の先生・塾の講師・教授等 登記:司法書士 税金:税理士 病気:医者 犯罪:警察・検察・弁護士 等… 上に挙げた例に、反論をする人は少ないと思います。 「病気になって不安だ。でも弁護士の先生が大丈夫と言ってくれたから信頼できる。安心だ!!」とはなりませんよね。 これは何故安心できないのでしょうか。 答えは簡単ですね。 弁護士は一般的に「能力値の高い社会的に地位のある信頼できる人」かもしれませんが、病気の専門家ではないからです。 困ったことがあったら、 その分野の専門家を頼るのが大事ということですね。 自分が認知バイアスにかかって、情報を正確に取得出来ていないのではないか… どうしたら解決できるのか。 これは実は自分の事を知る。つまり自己理解をすれば解決する事が出来ます。 次回は自己理解について書いていきたいと思います。
認知バイアスってなに?
こんにちは。 先の記事で固定観念・思い込みについて触れました。 固定観念や思い込みがあるのか。あるとどうなるのか。 本日はそれらの影響、認知バイアスについて書いていきたいと思います。 認知バイアスって何? 日常を取りまく様々な認知バイアス | 医療法人社団 平成医会 (heisei-ikai.or.jp)引用 認知バイアスとは… >「物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になる心理現象」 のこと、である。 「自分が過去経験した事を元に考えてしまうから、合理的ではない判断を下してしまう状態のこと」と、言い換えるとイメージしやすいでしょうか。 その根拠は正しい? アンケート結果等の数字データがあったとき、多数派の方が正しいであろうと思い込んでしまうことはないでしょうか。 極端な例を出すと、例えば、「(議題に対するアンチを100人集めたアンケートの結果、)反対が90人でした。」これはいかがでしょうか。 これでは正確な結果とは言えませんよね。 こういった確認を怠ると正確な判断が出来ているとは言えません。 そうすると、 「よくわからないけどとりあえずやってみよう。」 「何とかなるだろう。」等 安易に行動をしてしまうのです。 信頼できる友人が紹介してくれたビジネスは信頼できる? 信頼できる友人が紹介してくれたビジネスは絶対に信頼できるのか? 結論から申し上げるとNOです。 それは友人は信頼出来ても、そのビジネスの根拠とは因果関係が無いからです。 (信頼できる友人がやっているビジネス≠絶対信頼が出来るビジネス) 自分に伝わってくるそのビジネスの情報は、友人の認知バイアスのかかった(友人の知識や能力で濾過された)情報だと言っていいでしょう。 分かりやすく極端な例を出すと、 「信頼できるが、ビジネスセンス0の友人が、悪徳ビジネスに騙されている」 こんな可能性は排除できないわけです。 認知バイアスは日常生活の周りにありふれたものです。 認知バイアスに振り回されないように気をつけましょう。
目的って何だろう
世の中はワールドカップ真っ最中です。 今回はサッカーを例に交えて考えてみましょう。 サッカーとは… 世界で最も競技人口の多いスポーツがサッカーです。ボール1つとゴール2つか、それに近いものがあれば誰でもどこでもできます。 サッカーのルールを簡単に言うと「手を使わずに、制限時間内に相手より多くゴールを取った方が勝ち」です。 ルールは至ってシンプルですが、お国柄や監督や選手の志向によって試合の内容は大きく変わります。 そして、そこに正解はありません。サッカーの誕生から数百年経った今でも完璧なサッカーなど存在しないのです。 自分はサッカーで何を表現したいのかを突き詰めることがサッカーにおける多様性であり、魅力です。 仕事や生活においても同じようなことが起こります。 自分が重視する事は何か? 災害にさらされず自然環境の影響を少なくして、安全に寿命を延ばすことが生活の目的ならば、高温多湿で地震の多いこの国に住むのは非効率です。 賃金を得ることだけが仕事や勉強の目的ならば、その最短距離だけの努力でいいのです。 しかし、現実はどうでしょうか。 地震が多いからというだけの理由で、日本から海外に移住する人は少ないと思います。 賃金が得られればどんな仕事でもOKと言う人も少ないと思います。 これは自分の中に、 地震以外に住むところを選択する物差しがあり、日本に暮らす理由が強いから日本で暮らしているのです。 賃金は欲しいけど、これはやりたくない等の理由があるから限定されるのです。 目的って何? ここで辞書を引いてみましょう。 目的とは > 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。 目標とは >そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。 達成すべき事が目的であり、目標はその目印です。 目的が明確でなければ、目標を設定する事は難しいと言えるでしょう。 自分がやりたい事、重視する事、つまり目的を見出さないまま何らかの行動をする事は効率的であるとは言えません。 就活、恋愛、仕事、その他…何か取り組む前に、 ・何故それをするのか(目的) ・それを達成するためにまずはどこを目指すのか(目標) これらを明らかにして行動をする事が、結果を出す秘訣ではないでしょうか。 自分の目的を考えてみよう 冒頭のワールドカップで活躍するサッカー選手であっても、 「なんとなく気づいたらサッカー選手になっていた」という人はいないでしょう。 目的を明確に意識する事によって、結果はついてきます。 目的を明確に可視化出来るのが自己分析だと言えます。 人によって違うと思いますが、 「自分の目指すべき地点・やりたい事(目的)」とは何なのか、考えてみましょう。 それが見えてくれば、自ずとそれには何が必要なのか(目標)も見えてくるはずです。 頑張っているけど結果がいまいちでないと悩んでいる方がいましたら、 自分が何故それを頑張っているのか、原点に返ってみるのも良いのではないでしょうか。
固定観念に気を付けよう
本日は固定観念や思い込みについてお話させて頂きます。 自己分析の大切なポイントに、自分ですると不十分になってしまうという事です。 それは「固定観念」、「思い込み」が障害になるからです。 固定概念の意味とは? 固定観念・既成概念との違いを解説。 - STUDY HACKER(スタディーハッカー) 上のリンクから引用すると、おおよそ以下のようになります。 >固定観念とは、自分のなかで凝り固まっている考えやイメージのこと。 >観念とは抽象的な考えや意識のこと。 つまり、固定観念とは、 ・視野が狭くなり、意固地になっている。 ・他人の意見や周りの状況によって変化する事が出来ない。 ・柔軟な考え方をする事が出来ない このような状態の事です。 自分1人で考えていると、自分が固定観念にとらわれていないか、認識する事が難しいのです。 ・何故とらわれている状態なのか。 ・とらわれている場合、どうしたら視野を広げることが出来るのか。 第三者がいれば、自分以外の客観的な視点を持つ事が出来、視野が広がります。 だから、第三者を交えて自己分析するのが大事なんですね。 一件、当たり前な事ですが、自分が当事者になるとなかなか難しいものです。 自分の中の当たり前は、第三者からすると当たり前ではないという事に留意する必要があります。 自分の中の当たり前を中心に考え始めると、それがまさに「固定観念」にとらわれている状態と言えるでしょう。 他人にとって当たり前ではない可能性のある考え方で評価をしていく事になるのですから。 自分の中の当たり前を、正しい事と置き換えると理解しやすいでしょう。 自分は絶対正解だと信じていることを、それは正解ではないのではないかと考える事は難しいですよね。 自分が固定観念にとらわれていないか、是非一度客観的な視点から分析してみてください。 読んで頂きありがとうございました!
「自分を理解する」意味を考えてみよう
まえがき 人は自分の事をあまり理解できていない 「それは違う!」と言う方もいるのではないでしょうか。 しかしながら、表題の通り、多くの人にとって自分を理解するというのは難しいことなのです。 「知っている」と「理解している」は違います。それぞれ以下の通りです。 知っている…認識はできる 理解している…誰かに説明が出来る 多くの人にとって、「自分」とは知っているものであり、理解しているものではないのです。 自分を理解している人は、自分を相手に説明する事が出来るということなんですね。 「自分を理解する」とは、何故難しいのでしょうか。 検討してみましょう。 理解とは そもそも「理解」とは何なのでしょうか。 辞書を引いてみると次の通りとなります。 >理解とは >物事のしくみ…を論理によって判断しわかること。 >https://kotobank.jp/word/%E7%90%86%E8%A7%A3-148409 >論理とは >思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。 >https://kotobank.jp/word/%E8%AB%96%E7%90%86-664154 つまり、「物事(自分)のしくみを自分の思考の形式でわかる」になります。 自分の思考の形式とは何でしょうか。 こちらも辞書で引いてみましょう。 >思考とは >考えること、またその考え。 >https://kotobank.jp/word/%E6%80%9D%E8%80%83-72998 >形式とは >外に現れているかたち。外形。外見。 >https://kotobank.jp/word/%E5%BD%A2%E5%BC%8F-58841 これは、「考え方」と置き換えても語弊は少ない様に思います。 統合すると、 「自分を理解する」とは、 「物事(自分)のしくみを自分の考え方で説明が出来る」という事になります。 だから、自分を理解するというのは難しいんですね。 自分を理解するためには 「自分を理解している」定義はわかりました。 次は自分を理解するのに必要な事を検討してみましょう。 >「物事(自分)のしくみを自分の考え方でわかる」こと 定義の中で二つの要素が見えてきました。それぞれ以下の通りとなります。 ①自分の考え方 ②物事(自分)のしくみ 物事(自分)のしくみを定義する為に、自分の考え方が必要なわけですから、 自ずと①を先に定義しなければ、②を検討する事は出来ないという事になります。 前提(自分の考え方)がわからない状態では、結論(自分のしくみ)を論じる事は出来ないということ。 よって、検討すべき順序の優劣は①>②になります。 まとめ ・自分を理解するとは、「自分」を明確に説明出来る状態である。 ・自分を理解する為には、自分の考え方が明確に定義してある必要がある。 ・自分を理解する為には、まずは「自分の考え方」から定義していきましょう。 他人に自分を売り込む為には、自分を明確に説明できなければなりません。 もし「自分」を、自分の考え方を元に、明確に説明する自信が十分ではないと感じたら、 是非一度自己分析してみてはいかがでしょうか。
自己分析は自分でもできる?
みなさん「自己分析」にどんな印象をお持ちでしょうか? 「聞いたことがある」 「就活の時にやった」 「研修でやった」 「学校の授業でやった」など 聞いたことがあったり、 少し触れたことがある人もいらっしゃると思います 自己分析やった方がよくないですか?とお話すると、 「自己分析なんて自分1人で出来ますよ!」 こんな回答が返ってくることがあります。 実はこれには大きな落とし穴があります。 理由は簡単です。 自己分析とは、 「自分の見えている自分」だけではなく、 「他人の見えている自分」も分析しなくては不十分だからです。 つまり先の回答は、 「自分の見えている自分は分析が出来ている」が正しい表現だと言えます。 ジョハリの窓 「ジョハリの窓」というものがあります。 この窓には4つの区分けが存在します。 ①自分も知っているし、他人も知っている自分 ②自分は知っているけど、他人が知らない自分 ③自分は知らないけど、他人が知っている自分 ④自分も他人も知らない、潜在的な自分 ①自分と他人が思っている自分像が一致している状態です。 自分A「自分って明るい性格だなあ」 他人B「Aさんは明るい性格だなあ」 ②他人は知らないが、自分だけが知っている自分像です。 自分A(普段表には出していないが、負けず嫌い) ③自分は知らないが、他人は知っている自分像です。 他人B「実はAさんってこういう人だよね」 ④自分も他人も知らない自分像です。 これは専門家に引き出してもらわないと、出会う事は非常に難しいでしょう。 外の視点から「自分」を考える 先の4つの窓のうち、みなさんはどれくらい「自分」のこと知っているでしょうか。 分析を十分にしているという自負のある方でも、1と2しか知らないという方が多いのではないでしょうか。 それは自分の主観に依存した分析しかしていないからなんですね。 客観的な視点が必要な③と④も分析をする事によって、より深く「自分」を理解する事ができます。 客観的な視点とは、あなたに知識(先入観)のない第三者という事です。 当然ですが、自己分析の専門的な知識のある人間が適しています。 だから我々のような自己分析の専門家が必要なんですね。 自分(主観)だけではなく、他人(客観)を使った分析をして より深く「自分」を分析してみてはいかがでしょうか。 より深く「自分」を理解すれば、 自分の得意なフィールドで戦う事ができ、苦手なフィールドは対策や回避をする事が出来ます。 自ずと成果が出たり、ストレスを低減したりすることが出来ます。 遮二無二走り続ける事も時には重要ですが、一度立ち止まって、自分を見つめ直してみてはいかがでしょうか。